いちまぁい・・にまぁい・・、お菊さんが数えているもの?

有名な怪談!播州皿屋敷とは


姫路城の上山里(かみのやまさと)とよばれる広場に、お菊井戸と呼ばれる古い井戸があります。
この井戸は、播州皿屋敷で知られるお菊さんゆかりの井戸でよく知られた怪談話が残されています。

約450年前の室町時代中期、姫路城執権の青山鉄山(てつざん)は、城を乗っ取ろうと、城主を増位山の花見の宴で毒殺しようと企てていました。

それを察した城主の忠臣、衣笠元信(きぬがさもとのぶ)は、愛人であるお菊を鉄山の屋敷に奉公させて企みを探らせ、鉄山の息子小五郎から父の陰謀を聞き出しました。

この知らせを聞いて元信は、花見の宴で城主を毒殺しようとする鉄山の陰謀を阻止することができ、その後もお菊は、鉄山の屋敷で動向を探り続けていましたが、鉄山の同士の町坪弾四朗(ちょうのつぼだんしろう)に気づかれてしまいます。

以前からお菊に好意を持っていた弾四朗は「黙っている代わりに自分のものになれ」とお菊に言い寄りました。しかし、お菊はその条件を聞き入れず、弾四朗に折檻されます。

それでも強情に言うことをきかないお菊を憎らしく思うようになった弾四朗は、ある日、お菊が預かる家宝の十枚の皿うち一枚を隠してその罪をお菊に負わせ、ついにお菊を切り殺し庭の井戸に投げ込みました。

それからというもの夜ごと井戸の底から悲しげな女のか細い声で

「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚・・・・・」

と皿を数える声が聞こえるようになりました。
そのお菊が投げ込まれた井戸がこのお菊井戸だと言われています。

本家はどこ?姫路?東京?


実は、日本全国にお菊井戸が存在します。
これは、江戸時代に浄瑠璃や歌舞伎などの戯曲として脚色されたエンターテイメントとして、広く知られ、お話として全国に広がり、その土地土地の会談話として少しずつ話が変えられて根付いていったのではないかと思われます。

では、元祖はどこなんでしょう?
有名なのは、東京を舞台をする番町皿屋敷と姫路を舞台とする播州皿屋敷ですが、
どちらが元祖なのかは、はたまたどちらも違うのか、なかなか専門家でもわからないそうです。

横穴の不思議


姫路城のお菊井戸には実は横穴があります。
姫路城の中にあることから、この井戸が有事のときの抜け穴になっているのではないかといわれていました。
以前、その穴がどこにつながっているのかを某番組が調査したことがあるそうです。

結果は、行き止まり。

抜け道があると考えられていましたが、調査の結果、水抜きのための横穴であって、抜け道ではないと考えられています。
ただ、お菊井戸のお話もその井戸が抜け道であるために人を近づけないように流したうわさ話だという説もあり、本当に抜け道がないのか幾度となく調査されたようです。

抜け穴ではないですが、城から脱出するときに歩いて堀がわたれるようにお堀のどこかに堤が隠されている場所があるとも言われています。

何故かお金たくさん!


日本のいろいろな観光名所では、なぜか水に関係する場所にお金(硬貨)が投げ入れられていることが多いですよね。
お菊井戸は幽霊のお菊さんが出る井戸なのに、なぜか、たくさんのお金が!
トレビの泉のようにまた帰ってこれるようなおまじないを掛けているのでしょうか?それとも供養のためか?または願い事が叶うとか?
理由はよくわかりませんが、こうなると最近、夜な夜なお菊さんが数えているのは、お皿ではなくてお金ですね。


しかも、井戸の底には何千枚もあるように思います。お菊さんのあのゆっくりとしたペースで数えると、きっと朝方まで数えることになりそうです。 実際数えたらいくらになるかはわかりませんが、なくした家宝のお皿もそのうち買えるんじゃないかと思えてきます。