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世界文化遺産姫路城



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姫路城を支える心柱
西の心柱(現在)
東の心柱(現在)
大改修前までの心柱


 姫路城を支えているのがこの2本の大柱です。東西にそれぞれ高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cmと大きな柱で、それぞれ地階から6階の床下まで延びています。
3階で注目したいのが、西の大柱が2本接ぎ合わされていることです。これは昭和の大改修(姫路城を一度解体し、もう一度組み上げたという大改修)の際、もっとも大変であった作業の一つでした。
そもそも不朽により大柱が姫路城を支えられなってきていたため、新しい大柱を建てることが最大の課題でした。しかし、これほど大きな木材が見つからず困り果てた関係者が日本各地を探し回り、ようやく木曽国有林の樹齢780年の檜地元神埼郡笠型神社の樹齢670年の檜を3階で継ぎ合わせて再現したのです。
一方東の大柱は根本の補強だけで、現在も古い柱が使われています。

大改修で取り替えられた大柱は姫路城三の丸広場の奥、入場券の発券所の右付近で現在見学することが出来ます。


秀吉三層城の名残
油壁
姥ヶ石
十文字瓦


 現在の姫路城は家康の意向により池田輝政が姫路に入城し、築城したもので、それ以前には豊臣秀吉が築いた三層の天守が建っていました。
秀吉が織田信長の部将として中国勢を撃つために播磨入りした時、姫路城主の黒田孝高は秀吉に力を貸し、やがて秀吉が播磨を平定すると姫路城を秀吉に譲りました。秀吉は姫路城を1年で三層の城に改築します。しかしその後、信長が倒れ豊臣家も破れると秀吉の姫路城はわずか20年で取り壊されてしまいました。しかし、その頃の城の一部が現在も残されています。

 一つは「ほ」の門をくぐったすぐ上にある「油壁」。砂と粘土を塗り固めたもので、コンクリートほどの強度を持ち、鉄砲の弾もはじき返すと言われています。
もう一つは「ほ」の門をくぐった所の天守のふもとにある「姥が石」。秀吉の城づくりの際、石垣に使う石が不足していました。そんな状況を知ったのか、ある老婆が「これを使ってください」と石臼をさしだしたと言われています。それを聞いた秀吉はたいそう喜び石臼を石垣に使いました。そんな話がたちまち広まり、領民たちはわれもわれもと様々な資材を提供するようになり、工事が順調に進んだと言われています。
そしてもう一つが「に」の西面(裏面)にある「黒田孝高の紋瓦」。秀吉に力を貸した功績として、秀吉の姫路城には黒田孝高の紋瓦が使われました。黒田孝高はキリシタン宗に帰依し、十字の紋瓦を使っていました。


狭間

鉄砲用
鉄砲用
弓用


 姫路城の白壁には、長方形、丸、三角などのいろいろな形の穴が開いています。これは狭間(さま)と呼ばれるもので、侵入者を見張り、そして侵入者めがけてこの穴から矢や鉄砲で攻撃を仕掛けるために作られています。
丸と三角は鉄砲、長方形はを放つ窓で、それぞれの組み合わせや並びはバランス良く配列され、戦いの仕組みとしてだけではなく美しさを持ち合わせています。


狭間は天守と土塀を合わせて約500個ほど残っています。


三国濠
「菱の門」をくぐった付近
三国濠
「る」の門

菱の門」をくぐるとすぐに右手に天守が見えます。攻め込んできた敵はすぐに天守に向かって突き進もうとしますが、道は三国濠とよばれる水だまりで狭められ、攻め込んできた兵は流れを悪くさせられます。さらにその奥にある「る」の門は菱の門からは見えない角度の石垣に作られた小さな門で、一度に多数の人が通ることが出来ず、束ねられた敵兵を待ちかまえて撃ち取りやすくするという巧妙な戦術がそこには隠されています。



千鳥破風・唐破風
千鳥破風
唐破風


 姫路城の美しい造形を生み出している要因の一つとして、千鳥破風唐破風があります。
千鳥破風とは末広がりな三角の形をした屋根の作りで、採光や換気などの目的などでつくられ、中には内室(うちむろ)と呼ばれる小さな部屋が隠されているものもあります。
唐破風とは上部が丸くなだらかに拡がる屋根のことです。姫路城の南にある大きな唐破風は日本で最大級のもので、姫路城の繊細で美しい造形にダイナミックさを付加しています。

城の天敵はなんと言っても火で、火を避けるためにいろいろな形のおまじないが装飾に隠されています。一番有名なのは鯱(しゃちほこ)でしょう。火の反対の水の代名詞としてをあげ、魚を城に飾ることで火よけとしました。同様に懸魚(げぎょ)と呼ばれる破風の上や下にぶら下がっている飾り(上の2枚の写真参照)があります。懸魚は魚が転化した形態で、これも火災から建物を守るための火除けの呪(まじない)として取り付けられています。


籠城の為に


 鉄の二重扉をくぐった先にある大天守に入り口は地階にあたります。ここは穴蔵と呼ばれ、薄暗く籠城の為の兵器や食糧を貯蔵していていました。ここには水の流れが整備されており畳2畳分ほどの大きな檜の流し台が設けられ、さらに奥には(トイレ)もあり、普段は非公開ながら春先に1週間ほど公開されています。

美しい要塞とも呼ばれる姫路城には、地階だけではなく上層にも籠城のための仕組みが見られます。
壁には幾つもの鉄砲や槍が掛けられ、いつでも戦闘態勢に入れるほどの準備がなされていたことがうかがえるでしょう。